2017年10月13日


わたくしといふ現象は、假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です〜。この前書いた時に思い出したんだけど、この『春と修羅』序の朗読入りサントラ出してくれないかな。

<想い出のゲーム>

スクーン(FC・アイレム・1986年)

アイレムは後に『海底大戦争』という自機が潜水艦の横スクロールSTGを作りますが、その原型とも言える作品。地球はオトト星人という海洋型の宇宙人の侵略に合い、世界は海中に没します。確かオトト星人は人類を食糧にしていたと思いますが、そんな世界状況の最中、アメリカ大統領から一人の腕利き潜水艦乗り(軍人というより確か賞金稼ぎみたいな設定だったと思います)に人命救助とオトト星人討伐が命じられる。というような話だったと思いますが、何故そんな昔のゲームの事をそんなに憶えているのかといえば、説明書にストーリー漫画が載っていたんですよ。いきなりハワイアンなBGMで始まるゲームにしちゃあ、けっこう重い話だなと童心ながら思ったものだ。この辺は『未来少年コナン』みたいな感じだが、説明書の漫画にしてもギャグ漫画調というか、ノリが軽いんですよね。主人公も「しかたねーな」みたいな投げやりな出撃だったり。ただ、そういう背景を知ってしまえばタイトルの音楽とか何処となく悲哀的に聞こえてくる。ゲーム中も、昔のゲームですからストーリー的なものは余り感じないのですが、明るい曲の中救出のために閉じ込められてる工場を破壊した途端、海に投げ出される人間、一度に9人までしか乗せられないので、9人を超えて海中を漂う人間は見捨てるしかなく、なすがまま次から次にサメに群がられる様にこのゲームの闇を感じざるを得なかった。

ゲームとしては横スクロール『ディフェンダー』や『スクランブル』の流れをくむものでシンプルかつ遊びやすく、単純にこの時代のSTGとして及第点に達していると思います。ディフェンダーというかこの点は『チョップリフター』に近いのですが、キャッチ&リリースで人間を救い報酬にアイテムを貰う方式。リリースは海上にやってくる島みたいな船に1人ずつ降ろしていくので時間がかかり、攻撃は通常通りできますがY軸は固定されるわけで(いつでも切り離しはできる)この時間の攻防を行うタイミングを見計らう読みと腕が必要になってきます。欠点としては、海中という代わり映えのないステージが淡々と続くところ。一応ステージ初めにはアメリカだとか中国だとか分かるような建造物や音楽が鳴りますが、すぐさまいつもの海底になります。敵の種類が多い訳でもないので尚更。加えて1ステージがやたら長いのもネックでした。なので個人的には雰囲気良し、ゲーム性及第点、演出やや不足といった所でしょうか。難易度はアイレムらしく高めです。
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2017年10月07日

さいさん

以前書いた記事なのですが、あまりにくだらないので上げずじまいだったのをやっぱり上げてます。

片渕須直監督はどうやらかなりのミリタリーマニアらしく、なるほど『エースコンバット』の動画監督をやってたのかと納得・・・というのは大嘘でエースコンバットやったことないので分かりません。ただまあ宮崎駿の下で仕事をしていた時は、宮崎監督のマニアックな話題に唯一付いて行けた人だというのを見て納得した。

この作品にはその手の人の細かいこだわりを感じる。破片などの今まであまりなかった表現もさることながら、臨場感を出す音響にこだわりを感じる。とはいえ一番関心したのは、そういう拘りを出しつつ、作品からはオタクな臭いがしないところが凄い。オタク的な表現が悪いと言っている訳ではなく、この作品ではそれが成功していると思っています。これについては後述します。

そんな作品であると解説しておきながら、ミリタリーマニア視点で解析していきたい。
最初に劇中で晴美が歌っている歌は『空の神兵』で、パレンバン攻略の際に活躍した落下傘部隊を歌った歌。この頃はまだ連戦連勝だったので、軍民揃って「行けるでこの戦争!」みたいな高揚感が伝わります。

ちなみにすずの義父が歌っていた歌は何なのか私にはわかりません。歌詞は明らかに違うけど、メロディーは軍艦マーチっぽかったですね。

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川西航空機 H6K 九七式飛行艇 連合軍コード“メイビス”
私的には、旧軍が一番優れていた兵器というのは、流石島国というか飛行艇ではないかと思っています。特にこれの後継機である二式飛行艇は、百式司令部偵察機と並び最も好きな日本軍機のひとつです。まそれは置いといて、まずはこの四発機自体、枢軸側では珍しい機体です。

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チャンス・ヴォート F4U 愛称“コルセア”
小さくてざっくりした絵ですが、その特徴的な翼でコルセアだと分かります。何でこんな形かと言えば、やたらロングノーズなので、ちょっとでも前方下方視界を確保したいという狙いと、プロペラは大きいほうが推進力は大きくなります。が、馬力のないエンジンだと速く回せません。コルセアは2000馬力という大馬力で可能にしていますが、大型のプロペラは地面に干渉する危険性もあります。そこでこの形状という訳です。次に艦載機というのは大きく揺れる甲板で離着陸を行うため、陸上機に比べ頑丈に作る必要があります。特に脚は一番衝撃を受ける部分ですが、この翼形状だと短い脚で済み、強度を上げやすいという利点がありました。とはいえやっぱり着艦は難しい機体であったらしく、強力な戦闘機でしたがパイロットにはあまり評判は良くなかったそうです。
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コルセアによるロケット弾掃射。

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これは恐らく米軍が日本軍の防空レーダーを妨害するために、チャフを散布している描写。チャフとはアルミ箔など撒いて意図的に広範囲にレーダー反応を起こして目標探知を妨害、かく乱するものです。

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カーチス SB2C 愛称“ヘルダイバー”
ぱっと見てドーントレスとの違いは、後ろまで伸びるキャノピー。この時代精密自動追尾ミサイルなんてありませんから、一番精度の出せる爆撃方法は急降下爆撃。目標上空から垂直に近い角度で進入し、水平爆撃に比べ目標との距離を格段に詰め、かつ爆弾に加速をつける事で精度と貫通力を上げます。その際に
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こうやってフラップを兼ねたダイブブレーキをパカっと開くのですが、マニア的にはこういうギミックにシビレル。

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中島飛行機 キ84 四式戦闘機 愛称“疾風” 連合軍コード“フランク”
小さい上に標準的なシルエットで絵だけでは何だか迷ったのですが、義父の2000馬力という言葉で恐らく疾風ではないかと思います。米軍をして最良の日本軍機と言わせしめた。米軍機に対抗し得る性能を持ち、大東亜決戦機として期待されました。しかしながら日本機の常で、部品の個体差による性能のばらつき、信頼性の低さがネックになっており、更には日本はアメリカよりオクタン価の低いガソリンを使っていましたので、カタログ通り2000馬力を発揮するこは稀であったとか。その低い工作精度を上げるために、熟練工による研磨が命だったわけですが、すずの義父はそうした工員であったのだろうと思います。というかそう思えばあの異常なエンジンへの愛が理解できる。余談ですが日本軍機って塗装剥げ剥げな写真が多いですよね。これというのも塗装の質の問題だそうで、こんなとこにも現れるんだなあと切なさを感じます。

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出雲型空母 葛城
実は軍艦はあまり詳しくないのですが、wikiで呉の空襲を調べると、恐らくこれは葛城でしょう。ご存知かと思いますが、エヴァンゲリオンもマニアの庵野監督が海軍艦から取った名前をキャラに付けてます。綾波とか蒼龍(そうりゅう)とか。この辺は富野由悠季監督が実写映画屋になりたかった頃「飛行甲板から離陸する零戦を撮りたい」みたいに思ってたそうで、恐らくその反映ホワイトベースから発進するアムロ・レイ(零戦)やカイ・シデン(紫電改)、ハヤト(疾風)、リュウ・ホセイ(流星)と似たような物でしょう。陸軍機が発艦しとるやんけという野暮なツッコミはなし。

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ボーイング B−29 愛称“スーパーフォートレス”
日本人なら誰でも知ってそうな有名機(いい印象ではないでしょうが)。超空の要塞というあだ名は伊達ではなく、重武装かつ日本機が昇るのがやっとな高高度を飛行できます。酸素を必要とする人もエンジンも、気圧の低い高高度では酸素不足でゼエゼエとなります。そんな状態でハリネズミのように武装したB−29を襲っても返り討ちですね。では何でB−29は平気なのかといえば、与圧室と過給機です。今の旅客機などでは当たり前ですが、機内の気圧を一定に保つ与圧キャビンの量産に初成功したがこのB−29.そして今度はエンジンですが、圧縮させた空気をシリンダーに送り込む事で酸素不足を防ぎます。日本機にもターボ付きはありましたが、アメリカのものと比較するとお粗末なものでした。劇中すずが飛行機雲をのけぞりながら見て「初めて見た」と言っていますが、飛行機雲というのは気圧の低いところで起きます。つまりこんなに高く飛ぶ飛行機はこれまでなかったということで、これはこの時最新鋭機B−29が初飛来した事を意味します。原爆の事を考えるとここで一つのフラグポイントだったんですね。ちなみに単独で飛行しているこの時のB−29は高高度性能を活かした偵察型だと思われます。

さて、ここが一番言いたかった箇所なのですが、

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すずが機銃掃射を受けるシーン。ここの一連の構成を見てみると、この遠巻きのシーンから

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一気にガンカメラ視点になってますね。

何気なく見ていたのですが、ふと何か物足りない気がして思い止まって考えたところ、この2つの間に
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下手ですいませんがこういうシーンが抜けてるような気がした。先にヘルダイバーの解説でダイブブレーキがパカっと開くのが心擽ると書きましたが、マニアならギミックアップを入れたがるというか、自然に入ってしまいそうなものです。勝手な憶測ですが、押井守や庵野秀明なら硝煙と排莢を入れそうな気がする。別にあってもいいのですが、これはそういう作品ではありませんので、特に必要でないものはスパッと排除する。恐らくマニアというなら拘って描きたい心はあったはずです。そういう自分を殺せるという点に感服いたしました。
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2017年10月01日

万能のO型です

先週だけど、献血コーナーに救急車が来て誰か担架に寝てた。偶然その近くで倒れたのか、やっぱり献血後に容体が急変したのか。献血スタッフと思われる看護婦さんも着いていたので、恐らく後者と思われるが、血を見て気分を害したか、採血後に十分な休息を取らず貧血性の眩暈や動悸を起こしたか。色んなことをぐるぐる考えながら通り過ぎてましたが、採血後に貧血で倒れたならば、やっぱ自分の血を返して貰うのかな?

おっさんらしくレトロでビンテージな作品を、ディグってディスカバーして行きます。ザッツオール!

地球へ・・・(1980年・日本)

★★★☆☆
尺が足りてない!−1


まず時代背景を推察
37年も前のアニメーションですが、今見ても結構面白い。80年代といえば団塊世代が30〜40代で、マンパワーの利でバリバリ働き、バブルという大団円に向かって経済成長を続けていた希望ある時代であったと推測されます。ところがどっこい80年代のアニメは同年に制作された『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』や『幻魔大戦』『風の谷のナウシカ』『AKIRA』『伝説巨神イデオン』とぱっと思いつく限りでもディストピアや、滅亡を描いた人類のおろかさを啓蒙する悲劇的作品が多い。人は満たされると刺激を求め、このような作品を欲するようになるのかもしれませんが、この辺りはナウシカの原作で語られていて、なるほどさすが宮崎駿だなと感心したものです。といきなり逸れまくりですが、本作もまた火の鳥とナウシカを足して割ったような人類レベルで壮絶なお話です。考えても見れば日本を見ると社会は前進しまくっていましたが、世界的に見れば東西冷戦の真っただ中で、日本は極東方面での最前線であり、戦争になればまっさきに焦土となり得る立地だったのです。そう考えると終末的作品が、あながち非現実的と一刀両断にはできない時代でもありました。経済に浮かれる一般の人々に、傍にある危機を見ろ!と警笛を鳴らす人は何時の時代もいるものです。

ざっとあらすじ
時代は西暦からスペリオル・ドミナントになっており、人類は地球を荒廃させため、植民惑星アタラクシアに移住しています。どのタイミングかよくわかりませんが、人類は社会の維持管理を全てスーパーコンピューターに任せ、文字通りコンピューターが支配する世の中。人は試験管で生まれ14歳まで無作為に選ばれた親元で暮らし、成人検査をパスした者は両親の記憶を消され、社会人だけが住む都市へ移り住んで行きます。これがコンピューターの構築した安定的な社会。この安定を守るために、反体制思考などの危険因子は成人検査でふるいをかけ、強制的な再教育を行います。そしてこの社会人検査真の目的は、ミュウと呼ばれる超能力を持った突然変異体を見つけ出し、排除する事。本人の自覚があろうがなかろうが、ミュウと判明した場合抹殺されます。主人公ジョミーは成人検査の数日前から見知らぬ男女の夢を見ます。元々成人する事を嫌がっていた(反体制思想)ジョミーですが、検査の結果ミュウであると判定されます。無自覚のまま殺されかけるジョミーを助けた一人のミュウ。彼について行くとアタラクシアの地底深くに、宇宙船で暮らすミュウの組織があり、そこにいた指導者ソルジャー・ブルーと彼を補佐するフィシスこそ、夢で見た男女である事を知ります。ブルーはジョミーに、ミュウとは先天性の傷害を持つ者が鋭敏となり身に着けた能力であること、ジョミーは唯一完全なミュウであることを告げ、寿命の近い自分の意思を継ぎ、ミュウを新天地地球へ導いてほしいと願い出ます。

ミュウ側と人類側に主人公
本作にはジョミーのライバルとなるもう一人の主人公キースがいます。エリートですが、彼はマザー・イライザ(スパコン)の遺伝子操作によって造り出された人間であり、初めからマザーの手足となって働くことを運命付けられた存在。従順にマザーに従いますが、自身の生い立ち、造られた人間という事にコンプレックスを持ち、友人や理解者を求めます。互いに好戦的な性格ではないものの、ミュウは地球への渡航を開始し、マザーはミュウを根絶やしにする事を絶対にしている以上、争いは避けられません。相容れぬ者同士が、互いに存続のため悲惨な戦いに向かって突き進みます。キースはマザーに問いかけます。ミュウの排除が絶対ならば、何故遺伝子レベルでその因子を排除しないのか?実はこれ自体が仕組まれたものであったというのがオチなのですが、このオチの詳細はナウシカに迫る程衝撃的なものがあります。何にしても『スターウォーズ』ショックで日本にもSFブームが到来していた時代は、質の高いSFが数多くあったんだなあと羨ましく思う。いずれにせよ原作をスキップと駆け足で進みますので、付いて行けない人が出てもおかしくない。やっぱり原作が一番ですが、キャラはアニメ版が一番好き。フィシスは金髪より、あの地球のような深緑色の髪が一番いい。

地味だけど凄い
作品にはだいたい作者の思想や人生が反映される。日本にSFブームを作ったスターウォーズだってそうだ。ルーカス本人の、家業を継ぐこと強制された退屈な人生からの脱出と、実績もない新進気鋭の監督がハリウッド相手に戦った様を、ルーカスがルークに反映している。本作も環境問題の他に、体制批判や自由を勝ち取れといったポスト団塊世代の青春が見て取れるが、生年月日から考えて竹宮恵子本人が20代の時に描き上げてるという事に恐れ入る。監督の恩地日出夫はアニメをやってきた監督ではなく、実写を撮っていた人なので、そういわれてみると長尺カットや、対象物を中心にカメラをパンさせるようなカットを多用している。これ現在の3DCGなら容易にできるカットだが、セルアニメならば1枚1枚角度を変えた絵を用意しなきゃならない。畑の違うところから来た人のなせる業かどうかまでは分からないが、派手な演出こそないにせよ、容赦なくアニメーターを酷使した様が見て取れる。惜しむらくは明らかに尺不足で、駆け足飛び足で物語が進む事。アフレコにも本業の声優ではなく俳優を多く起用しています。私の世代からしても(見た目)若々しいイケメンのブルーに志垣太郎というテロップはちょっと笑ってしまうが、当時は志垣太郎も『あかんたれ』で絶世風靡した後でまだ20代なのだ。ヒロインともいうべきフィシスの声は秋吉久美子。これも当時の事は分からないが、恐らくアイドル的な人気があったのだろう。アンニュイな雰囲気が予知能力のあるフィシスの落ち着きとバッティングさせたかったのかもしれない。が、すこぶる不評みたいで、確かにボソボソと何を言ってるのか聴き取り難い。といっても私には『風立ちぬ』の庵野秀明レベルで、これはこれで「こういう声なんだな」と思えるので問題ない。『ヴイナス戦記』で不評だった植草克秀の声も特に気にならなかった。私が声を嫌うパターンは不快に甲高い声の時か、明らかにキャラ年齢と合っていない老け声かその逆のパターン。

2007年のテレビアニメ版★★☆☆☆
昔拝聴しただけで詳しくは憶えていないのですが、低クオリティ。もうどのシーンがどうだという事は憶えてませんが、粗製乱造が酷かった時期のアニメらしく顔アップだらけ、淡々と棒立ちで喋る演技のない退屈さと、間延びしてる尺稼ぎな展開と合わせて緊迫感が薄く、特に話の見えてこない前半はファンでなければ見続けるのは苦痛でしょう。詳しい事情は分かりませんが、明らかに制作期間か予算かのどちらかか、その両方が足りてない。この直後に始まった『機動戦士ガンダム00』とのクオリティ差が凄かった。『天元突破グレンラガン』とも同年代なのでやっぱり酷い。これは『蒼天航路』や『GANTZ』で感じたショックと同じものなので、これはまたGONZOの仕業だな!と決めつけて検索したら、GONZOではなかった。更に言えばメカニックや衣装設定も酷い。無駄に現代風にしてるせいで半端な近未来感になってしまってスペリオル・ドミナント感が薄い。無駄にリアリティあのるデザインにしようとしてるが、その割には線をケチり返って玩具感を強めてしまってる。遠い未来の技術なんかわかんねーで貝柄のようなデザインの旧作の船のほうがまだ見れる。泣き所を増やそうとしてる点も好きじゃない。至る所に神話から名前を拝借したアレな追加設定もアレだけど、ラストの改変は「おいおいおい」と、原作で受けた衝撃を返せと突っ込まざるを得なかった。そしてキャラデザイン(髪の色なんかは原作に近くなってます)云々はさておき、妙に巨乳化してたりそれを強調するような衣装を用意したりと、この辺りも地味にイラっとくる。そういう下品な手で稼ぐ作品じゃない。・・・と思う(弱気)。ナウシカをTVアニメでやりますとなって、毎週意味の分からないタイアップ曲に乗せられて、皆セクシーになってて、ラスト改変されてたらやっぱり同じように不満を述べるだろうな。
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2017年09月26日

エスペラント語でおk

ええ歳こいてアニメ見てる障害者です。今年もあと3ヶ月ちょっとって嘘だろってくらい速い気がする。そんな感じでこの勢いであっという間に老後が来るだの、孤独との戦いになるだの話ししておりましたら、やっぱり死んだ後のストレージ問題にぶち当たった。エロ画像云々も確かにあるが、私の場合自分の創作した漫画だの物語などが親族に読まれてしまうのが嫌だな。救命レスキューではなくて、スマートフォンが連続49時間未操作の場合連絡が入るとか、小型ペースメーカーを体内に埋没させて停止した場合連絡が入るとかで、予め遺書としてスマートフォンやPCの所有権を移譲して処分or匿名公開してくれるサービスを希望。

銀河鉄道の夜(1985年・日本)
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★★★☆☆
雰囲気プラス1


★についてですが、3が一番多くなりそうに基準を設け、自分の評価を書いたものです。
★☆☆☆☆・・・もう見ることはないだろう
★★☆☆☆・・・楽しめる部分はある
★★★☆☆・・・楽しめる
★★★★☆・・・お気に入り
★★★★★・・・数日支配されるレベル

国民的童話作家
宮沢賢治といえば、教科書に載るくらい日本人に馴染みのあるもので、私も未だに小学時代国語のテストで“クラムボンとは何ですか?”という設問を憶えております。当時の国語の先生が彼について熱弁する、宮沢賢治フリークだったなと。他に私が知ってる賢治作品といえば『注文の多い料理店』『グスコーブドリの伝記』とこの『銀河鉄道の夜』だけです。中でも教科書での抜粋以外、純粋に同作品をまるまる一冊読んだのは本作だけで、図書館で借りて読んだのですが、何故かといえばこのアニメを観て「意味が分からない・・・」と思ったから。物語の顛末は理解できるんです。ただその中間に出て来る演出が理解できない。「じゃあこれ文字だったらどう表現されているのか?文字ならば分かるのではないか?」本題ではないので端折りますが、原作を読んで理解できたか?といえば、アニメ版を観た時から理解度は何一つ進展しなかったとだけお伝えしておきます。むしろアニメは分かりやすくしていた・・・。同名原作のアニメ化ですが、原作は猫ではないのであしからず。ジョバンニ、カムパネルラと登場人物は外国人のような名前で西洋かぶれな他の宮沢作品もそうですが、外国人のようでどこの国籍かも分からない。イーハトーブ(岩手)みたいに強いて言えば岩手県民という不思議な語感は彼の持ち味です。だからこの作品を映像化する際に、外国人風に描くのか?といえばそれは何か違う気がすると思えるが、かといってごりごり坊主頭の日本人にするのも何か違う気がする。そこへいくと猫の擬人化というのは上手くやったと思います。これには元ネタがあるらしいのですが、そちらについては全く知りません。

ざっとあらすじ
とりあえずあらすじを書きます。主人公ジョバンニは学校へ通う子供。父親は漁師ですが理由は不明で蒸発しており、母親も病床。なので彼は子供ながら印刷所でアルバイトをして母との暮らしを支えています。それでも父も母も大好きな関心な子供ですが、毎日夜まで働いてるせいで学校の勉強は疎かになっていて、授業中に居眠りをしてしまいます。彼の親友がカムパネルラで、誰にでも心優しいナイスガイ。ジョバンニはカムパネルラの事が大好きです。そしてクラスのガキ大将的なザネリという悪ガキが、いつもジョバンニをからかいます。ジョバンニはカムパネルラと仲良くしたいのですが、カムパネルラはザネリのグループでもあり、なかなか近づく事が出来ません。ケンタウル祭の日も、ジョバンニは学校が終われば夜まで働きに出ます。日銭を貰い、パンと角砂糖を買い家路に着くと、配達されているはずの牛乳が来ていない。牛乳に砂糖を混ぜて母親に飲んでもらおうとしていたのに、それがない。ジョバンニは配達所へ直接取に行きます。その道すがら、お祭りへ向かうザネリとばったり出くわすのですが、話しかけようとしたジョバンニに、ザネリは父親の事をからい去っていきます。配達所についたジョバンニは中にいたお婆さんに牛乳が届いてない事を伝えても「今誰もいないので明日にして下さい」の一点張り。仕方なく引き返し、広場でお祭りを見ていると、またもザネリがからかいます。さすがのジョバンニも耐え兼ね、お祭りどころではなくなり、火が付いたようにその場を後にすると、丘に上がって寝そべり大好きな夜空、天の川を眺めます。すると光がこちらに向かってきたかと思えば突然まばゆい光を放ち、目の前に機関車が到着しました。銀河を渡るその機関車に乗り込んだジョバンニは、そこにカムパネルラもいる事に気付き、二人で旅が出来る事を喜びます。細かい所を端折りまくっていますが、大まかにいってプロローグはこんな感じです。

銀河=死後の世界
あらすじは書けば分かる内容ですが、本編内容の事を書くのは大変難しく、「何か意味があるんだろうけど、シュルレアリスムのようなものを連続して見せ続けられる」と書けばどう分からないかが解りやすいかと思いますが、銀河鉄道がに行き着く駅々で不思議な乗客が乗り込んで来ては、不思議な出来事が起こります。唯一「ああこれはタイタニックの事だろうな」という話が出てきますが、それ以外は調べてやっとぼんやり分かるレベルで、しかも未だに諸説あってハッキリしない。何せ宮沢賢治死後に発掘されただけの未発表物語ですから。だいたい何でタイタニック号の事件がここで出て来るのかも私にはとんと分かりません。全体を通して分かるのは、銀河鉄道というのは死者の魂をあの世へ連れて行くものなのだろうという事、私の解釈は間違ってるかもしれませんが、あの世は銀河であり、この世を去る人は星座の海を渡る銀河鉄道に乗り、その人が降りるべき駅(星座)で降りて行く。宮沢賢治作品を知らない人からすれば、彼のイメージは不思議な世界、七色のファンタジー一色かもしれませんが、だいたいその下敷きになる世界は貧しさや、自己犠牲を美徳とした厳しい現実世界で、本作もトトロのような心持で見る様な作品ではありません。ですが本作の味になっているのは、やっぱりその不思議な世界観にあると私は思います。映像的にも“静”と“暗”を非常に大事にしていて、私はこれてっきりりんたろう作品だと思ってたのですが、杉井ギサブローという方でした。音楽は要所で使い(この音楽がすごくいい)、代わりに活版印刷機のガッタンゴットンといった機械音や、水のポタポタという環境音をひたすら後ろで流す感じが、効果的にしんしん欝々とした雰囲気を作っています。原作を読んだだけでは、私程度の頭では宮沢賢治の見えてる世界がどういうものなのか想像に窮しますが、こういうアニメーションで解釈を示してくれると助かります。とはいえこれも違う気がするのですが、元が元なだけに様々な解釈あって良き作品かとも思う。先にも書いたように、どこの国かも分からない感じで、ぼんやりと文字の中に“ある”のが相応しい世界かとも思いますが、映像化するのならこのような第三視感でバッサリやるのはアリだと思った作品です。

時代の流れではあるけれど
映像的雰囲気を好んでいるこの作品、2012年に宮沢賢治作品である『グスコーブドリの伝記』を
、同じく杉井ギサブロー監督&キャラクターデザインも同じ江口摩吏介コンビでやったのですが、同じ作り手でも、描画がCGになっただけでこんなに味気なくなるんだなとがっかりした作品です。
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2017年09月21日

アフターギーガー

先週末ですが台風は案の定肩透かしで雨だけはしっかりと降っておりましたので、むしろチャンスと思い映画を観に行きました。勿論エイリアンのやつですが、さすがネームブランドだけあって悪天候でもそれなりに人が入っておりました。考える事はだいたい一緒ですね。

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風が吹くとき(1986年・イギリス)
★★★★☆
今こそ見るべき作品




私はこの作品を見たのはアニメ版より1982年に発行された原作である漫画版です。買ったのではなく、小学生の頃、市民図書館に行くのが好きでそこに置いたあったものを読みました。というか絵柄が良かった(スノーマンの作者)のでよく分からないで手に取ったんだと思いますが、読み終わって吐き気を憶える程のトラウマを負った。怖いというのが正しい表現で、原爆の怖さというのは学校の平和授業で繰り返し『はだしのゲン』を見せられたので、映像的なグロテスク表現はあれ以上のものを知らないが、放射能というものの怖さを本作で実感した感じです。

・物語
舞台は冷戦真っ只中のイギリスの片田舎で、現役引退して厳かに暮らす老夫婦が主役(ジムとヒルダ)です。夫婦水入らず、仲睦まじい老後の穏やかな生活を送っていたのですが突然ラジオで、イギリスがロシアとの戦争状態に入った事を告げられます。真面目なジムは冷戦期と言う事もあって普段から戦争の危惧をしており、政府が発行する核戦争時における国民避難の手引きに従い、簡易シェルターを作り、食糧や生活必需品を備えます。先の大戦ではイギリスはドイツに空爆を受けたので、夫婦は空爆の経験はありましたが核の怖さは政府の発行する手引きによる情報と、広島での情報が流れ伝わった程度のものでした。放射能という毒の理解はしていましたが、どれ程のものという事まではしっかり認知していなく、分かっている視聴者からするとここが凄くもどかしく、教えてあげたい衝動に駆られていたたまれない。そんなこんなで準備を整えていた折、今度はラジオから(以下うろ覚えの台詞)「我が国に向けて、敵のミサイルが発射されました。到着までおよそ3分です。急いで避難して下さい」というような緊急速報が入ります。ここから一気に先細りの展開になって行くのですが、前向きに暮らそうとする夫婦が見ていて辛い。ちょうど今日本でも、北朝鮮の弾道ミサイル落下時の国民保護のマニュアルを政府が公開しておりますが、これを読んだ時に本作の手引書と変わらない事に(むしろ80年代発行の英国の手引書より簡素)気づかされました。書いてある事といえば“頑丈な建物に避難すること”や“物陰や地面に伏す”事だけ。核については全く触れられておりません。ちなみにですが、主題歌はデビット・ボウイです。

・アニメーションとして
結構面白い試みがなされています。今の様な視聴に耐え得るCGはありませんでしたから、実写やミニチュアを駆使して立体的な映像を実現しております。例えば夫婦の住む家はミニチュアで作られており、CGと同じ効果で室内でもカメラをパンしながら人物にフォーカスを当て続けるといった事をやっています。そしてそれは確かにミニチュアと分かるのですが、絵柄にマッチしているのか、不思議とセルとの不自然さは感じません。

・この世界はどうなってしまったのか
核爆発が起ってから何日も何の音沙汰もなく、敵も味方も現れない。片田舎まで見渡す限りの焼野原。イギリスがソ連のミサイルで崩壊したのはだいたい察しが付きますが、敵からミサイルが発射されと分かれば、報復に核ミサイルを撃ち返すのが当然。冷戦期であるので当然イギリスVSロシアなんて事は考えにくく、ヨーロッパ全土が同様で、アメリカこそ第一目標だろうしアメリカの核も東側へ発射されてるだろう。ということで世界は破滅してしまっているというのが私の考えです。
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2017年09月09日

ちょっと待って!今

昨日『この世界の片隅に』の感想を書き上げたのですが、夜寝る時にふと頭が痛いと書いていた“人さらい”の謎に一歩踏み込めたような気がしたので、枕元でメモを取っておきました。寝てる時って何で頭冴えてるんだろうな。やっぱ脳が記憶を整理しているからでしょうか。昨日今日で脳を使うと刺激されるんだな。寝つきが悪いのが悩みでもありましたが、いいこと?もあるようだ。

・人さらいのソレ自体が戦争という事象の具現化。
・戦争という不条理にさらわれたけど、その中で出会ったのが周作。
・“ワニ嫁”“鬼いちゃん”なのは、兄を戦争のイメージとダブらせているから。
・今はソレが通って行くのを見送る事ができる。出合った橋の上で。
・過去の自分を具現化した右手が人さらいにバイバイしてる。戦争という過去とも顔馴染み。

完全ではないけどなーんかイイ線突いてる気がしてならない。持論で総評したように悲劇だけではなく、酸いも甘いも秘めている事との整合性もとれる。まだモヤモヤするけどちょっとすっきり。完全空振りの可能性もありますが。昨日書いた通り、自分の解釈が大切なのでネット検索で答え合わせとか野暮なことはしないが、とりあえず見た人にぶつけてドヤ顔してみよう。やっぱこの作者凄いわ。私も偏狭なので、偏狭なファンがメジャーになるのを快く思わないのも解る(笑)
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2017年09月08日

長評

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これ美味しい。麺は相変わらず古のボソっとした食感で、想い出補正がないと辛いかもしれませんが、いいスープ出てる。


アメリカ公開も始まった事だしそろそろ書きたい。


★★★★☆
完全版が出たら5つ星


※ネタバレです。
・『風立ちぬ』のよう
英題は『In This Corner of The World』直球で書いても案外悪くないですね。字幕公開というのがいい。先に書きますが、やっぱりすずにはのん以上の声優を考える事ができない。『風立ちぬ』と共通点も多く、「この世界の片隅に、私を見つけてくれてありがとう」という台詞に帰結する通り、ロマンスが軸にあります。至純な戦中系日常物語ですが、悲劇だけではない。私はジョンブル魂というものに憧れを抱いておりますが、そういう感じに近いものがある。別れも出会いも全て戦争が連れてきて、連れて行く。あちらが“生きねば。”ならばこちらは“生きて行こう”といった感じでしょうか。あえて言えば『魔女の宅急便』から“おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。”を持ってくるとしっくりきますね。共通点が多いと書きましたが、本作の主人公鈴も、風立ちぬの二郎と同じでぼーっと空想に浸る癖があり、どこか浮世離れしています。だけど『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のように、辛い現実から逃げる為に、好きなミュージカルで覆い隠すといった逃避ではなく、もっと自然的に溢れ出る感性のような感じです。この辺りも二郎と同じですね。そして二人とも声優を起用しておりません。監督と女優という素質の違いはありますが、これまたのんの声が良く合っている。これと同等以上の代役は見つからないんじゃないかというレベル。演技についてテクニックのような細かい事は私には分からないのですが、とにかく足し過ぎてる演技よりは、足らない演技のほうが好みなので問題ない。

・伝記的な細かい描写
自分の人生にろくなロマンスがなかったので、理解が芽生えてないのか愛だ恋だのが嫌いなのですが、それでも見れてしまうのはやっぱり色んな部分で踏み込んで世界を構築しているからでしょうか。原作の時点で完成の域の時代考証ですが、更に細部を詰めているし、その細部を埋めるのは並ではなかったと思う。街並みや衣食住の表現だけではなく、戦争というものもきちんと描いている点も良い。ここは原作より何故か異常な力の入り様。有体に言ってマニアだからきちんと描いてという下心な気持ちもあります。だけど物事を一面的に“こうである”と言い切ってしまう物言いは陳腐に見えて仕方ない。戦争という物事を見た時に、そこには怖さがあり、かっこよさがある。戦争は無条件に悪だと言いながら、何処の国にも戦争の英雄が奉ってある。戦争が無条件に悪であるならば、それは悪人や殺人鬼以上ではないはずだ。戦争は死者と悲劇を量産する。戦争を賛美するつもりで言っているのではなくて、大変な悲劇の中でも喜劇はあるという事。この考えを失った時こそ人は虚無になり、本当に絶望の重力井戸に落ちて行く。この作品の何が良いってそこに集約されていると思う。そういう啓蒙的な意味で『火垂るの墓』を超えているし、過去同じ★四つつけてますが、足の先しか突っ込んでいない『風立ちぬ』も超えている。(両作が駄目と言ってる訳ではないのであしからず)

・出会いと別れ、成長の物語
「うちはぼーっとしとるけぇ」って台詞が出だしから何度か出てきますが、この台詞が卑怯極まりない。素朴さを売り込みにきてるようで卑怯だけど、やっぱりいい台詞。すずは流されるに身を任せ、自分を押し留める行為が定常化してしまっている性格。しかしこれは多くの日本人が抱え持つものであり、自分を拡大解釈したような主人公という点も、この作品が非常に多くの共感や感情移入を与えているのかもしれない。柳のように運命を受け流してきたすずだけど、自身の葛藤を絵という手段に変換してきた右手は、大切な人らと一緒に戦争が持って行った。焼夷弾が北條家の屋根を突き破り、今まさにまた戦争に家を、夫に守ると約束した場所を奪われようとした時、今そこにある現実を呑み込み運命を作るべく行動する。恩恵という言葉が適切かは分からないが、状況が彼女をひとつ変えさせた。

※原作のネタバレも含みます
・原作との違い
大きく違うという風ではないのですが、割と大切だろうに端折られてるエピソードがいくつかあります。座敷童だった白木エリと周作の関係、意味ありげに出て来るすずの口紅など。岡田斗司夫の語っていた情報が元ですが、この辺は製作費不足による不本意なオミットだったのだとか。なのでこの辺りを+20分補填した完全版を制作したいとプロデューサーが構想しているらしいです。世界配給が順調に行けば達成されるでしょう。楽しみです。後は意図的に台詞を改変していると思える箇所がいくつかありますが、玉音放送を聞いた後の大泣きシーンです・・・

(原作)
「(玉音放送直後に屋根に掲げられる太極旗を恐らくは見て)・・・・ああ・・・暴力で従えとったいうことか。じゃけえ暴力に屈するいうことかね。それがこの国の正体かね。うちも知らんまま死にたかったなあ・・・・。」

(アニメ)
「(遠くに挙がる太極旗で恐らくは見てない)海の向こうから来たお米、大豆。そんなもんで出来とるんじゃなあ・・・うちは。じゃけえ暴力にも屈せんとならんのかね。あぁ・・・何も考えん、ぼーっとしたうちのまま死にたかったなあ。」

ここは随分印象が違います。この辺りは大変デリケートな話なのでお茶を濁してる感があります。右界隈の人らが騒ぎそうですが、原作のままやってほしかった。ここは割と大切なシーンだと思うのです。何故ならこの直前まですずはアメリカの暴力に屈するもんかという心情を持っていたから。日本は暴力と戦っていると思い込んでいたものが、日本もまた暴力を奮う側であったという事実、戦争の本質を見るシーンです。『海のトリトン』や『ザンボット3』のそれですよ。原作がなければ単純にこれも良いシーンでしたが、正直この改変はいただけない。

・ここからオタク的うんちく
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※高射砲の爆発煙の中に、青や黄色の色付きがちらほらしておりましたが、あれはすずの妄想ではなく恐らくどこの隊の砲弾か識別するための着色煙であると思います。義父が「砲弾の破片に気を付けろ!」と言っておりましたが、高射砲の砲弾は空中で炸裂させる事で、砲弾そのものの金属片を飛散させる仕組み。ですから上空でパンと弾けた後は、もの凄い勢いで地表にも降ってきます。空襲警報が鳴ったら避難というのは何も敵の攻撃だけからという訳ではないんですね。高射砲に限らず、当然機銃を上に撃てば、空で消滅するなんて事は物理的にあり得ないので、撃った分だけ重力に倣って銃弾の雨となって落ちてきますし、運よく敵機を撃墜したとてその残骸もまた当然降ってきます。

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※焼夷弾のくだりの説明。特徴的な六角形の米軍のM69焼夷弾のほとんどは、ナパーム剤が入ってます(劇中すずが習っていたように、テルミット剤タイプのエレクトロン焼夷弾と呼ばれるタイプも一部ありました)焼夷弾はナパーム剤が燃えて延焼するという理屈は大きく言って正解なのですが、細かくM69の動作工程を説明すると不足でこうです。

1.投下機から親爆弾が投下される。
2.親爆弾は空中で火薬を使って収束バンドを吹き飛ばし、中から19ないし38発のM69が解放され、そのまま自由落下で落ちてきますが、木造家屋に突き刺さるよう、姿勢制御のための麻布の尾を引いて落ちてきます。火の雨が降ってる描写はこの麻布の尾に収束バンドを吹き飛ばした際の発火が引火したものです。
3.地面に落ちた焼夷弾は衝撃で時限信管が作動します。起爆までのタイムラグは5秒。
4.信管が起爆し、まずはTNT火薬が爆裂しナパーム剤に着火、同時にその爆風で拡散させて広範囲を焼きます。

ナパーム剤は酸素を絶たない限り、風が吹こうが水をかけようが燃えます。キャンプ用のジェル状着火剤を思い起こすと分かるのですが、粘度が高く速乾性もありません。北條家に落ちて来たシーンを説明すると2の状態のまま不発状態であった事が分かります。あの炎は単に麻布部分が燃えていただけ。とはいえいつ起爆するか分からない爆弾に覆い被さるのは、あまりに命知らずな行為。


※妄想とオカルトの境。作中の景色やオブジェクトが、すずの妄想で鉛筆や筆で書いたような歪み方をする場面がちらほらあります。しかしそれは妄想がちなすず視点という事で容易に納得がいくのですが、それに加えて時折オカルトな場面があり、それもすずの妄想なのか、はたまたそれとは関係ないのかよく分かりません。またそれを巧みにどっちつかずな演出でカバーしてあるいやらしさ。

・すずの頭を撫でる右手
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誰の手とも分かりませんが、女性らしい手だしすず自身の右手とも取れるが、これが何を表しているのかいろんなものが例えられるのですっきりしない。この手が出てくるのは全て呉空襲後なので、リンですよと言われても納得してしまうし、そういう特定の手ではなく亡くなった大切な人たちの総称で、やっぱりすずの妄想かもしれないし何だろう。

・人さらい
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劇中冒頭と終わりに出る人さらい。冒頭を見ただけではどう考えてもすずの妄想だけど、ただの妄想ではない事が、周作がすずと出合ったのがこの時だという事で分かる。その出会いの現実を忘れ、妄想に変換されてるのかと思いきや、再登場の際は周作も人さらいの姿に反応している。果たして同じ姿を見ているのかは謎だけど、第三者がいたことは確かとなります。そしてすずが妄想したワニ嫁がいるということは、すずの兄という事も考えられますが、時系列も何も整合性が全くなくなる。ここは本当に頭が痛いシーン。しかもこの人さらいに手を振るのがまたもあの右手・・・これは右手の正体も掴めそうな因果を含んでいそうですが、知能不足。とはいえネットで検索して答えは見たくない。謎は謎で良い時もありますから。

・妄想か霊か?
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幼馴染の哲が、乗艦していた着底した青葉を眺めてるシーン・・・と言いたいところだがどう見ても霊。足がないとか透けて見えるとかいう安易な表現はされておりませんし、荷物まで抱えちゃっててまるで生きているみたいです。この直後にすずは広島を想いだす鷺と、哲との想い出である白い兎の波と共に、浮かび上がる青葉の妄想をします。ここは妄想ですが、この哲自体はどっちなのか。

・みなしご
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後にすずと周作夫婦の養子として迎えられる原爆のみなしごですが、母親を失って一人瓦礫の野を歩き、夜1人で寝てるシーンで映る不自然な二つの青い炎が燈っている。瓦礫の野ですが、他に炎が燻ってる様はなかったですし、察するに両親の御霊がこの子の枕元に立ち、見守っているとも見れる。初めて見た時はゾクっとした後に涙が止まりませんでしたよ。だとすればあの子がすずに巡り合ったのは、単なる偶然なのかどうか作者のみぞ知る世界。妄想場面はすずの視点を通して描かれておりますから、この時点ですずはこの子の事など知る由もなしで炎に物質的解釈が出来たとしても、妄想という解釈はできない。


というわけで結局記事を書くのに何日もかかったわし、だらだら書いてしまいましたが、見る前から絶賛されていた作品なので、「周りが何と言おうと面白くなかったら言うぞ」という気持ちで見たのですが評判に偽りなしでした。とにかく考察が捗り過ぎる程膨大な情報量が入っておりますので、何度も見ないと分からない事が多いと思います。先にも書きましたが、『火垂るの墓』や『風が吹くとき』といった先細りの悲惨一辺倒だと、良い作品でも再び見るのに覚悟が必要で見たくないとさえ思わせる。本作も辛い部分はそれなりにあるのですが、楽しいシーンもあって間口が広い。この入りやすさは反戦映画になかなかなかったものだ。そして作り手の思う答えに必ずしも導く造りではない。自分で考えなければ、与えられた思想信条をコピー&復唱するだけでは、それはそれで洗脳でしょう。

最後の最後おまけ的で申し訳ないのですが、原作漫画が凄いです。超アナログというか、トーンすら使ってない手描きの温かみが凄くいいし、取材力と合わせてどんだけ労力払って描いてるんだこれという代物です。
posted by mutu at 22:20| Comment(0) | 映画・ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月06日

書き溜まっていたのでW更新

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何気に写真撮ってしまったが、昨今喫煙者って肩身狭い思いをさせられてると思う。なのにこのような一部の傲慢者のせいで更にイメージを悪くして、それは巡り巡って捨てた自分へもやってくることが理解できないのか、そもそも考える頭がないのか。写し忘れたけどもっと驚くのは、この吸い殻入れの足元に吸い殻が落ちていた事だ。「意味が分からん。喫煙スペースで吸うとこまでやって、そこまでやって、最後地面に捨てる意味が分からん」とツッコミを入れてしまった。



あるサイトに貼ってあった動画で、Youtubeによくあるこの手の再生数稼ぎの煽りタイトルの動画は嫌いなのですが、ドラクエの部分はにやけながら聴いてしまった。私もいきなりこん棒を買う派だったんですよね。というか、(あんまり高額だと中間装備を買ったりするが)その街の最強装備をいきなり狙いに行く派で、何でそうやるかと言えばひろゆきとはちょっと違うかもしれないが、お金貯めが嫌いだったから。ギリギリを狙いに行くのも同じで、レベル上げも嫌いだから、できるだけ一度に得られる量が多いところで稼いでいた。「それもう楽しんでRPGやってないよね?」みたいな突っ込みを受けて初めて「俺はRPG好きじゃないんだ」と悟り、流行だろうとやらなくなりました。夏休みの宿題は最初の数日である程度頑張ってやって1日にできるペースを掴み「残りこれくらいだから逆算して3日前からやれば間に合う」みたいな計画を立てる。でも不安症だからその間にちょこちょこやって、最後3日の1日分の量を削り心の余裕を持つみたいな計画でしたね。仕事でも遅れてでも100%に拘ってやるのではなく、如何に楽をするかのために頭を使い、どの工程を削れる、まとめられるかに情熱を燃やし、スピード重視で成功率は80%出せればいいみたいなやり方だ。願う人格とは違い、職人気質ではないんだろうな。



さて、久しぶりに大きめのアップデートがきました。大きく気になったのが日本重戦車の性能変更。
O−I Experiment
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・10cm砲が除外
・最高速が40km/hから20km/hに低下
・砲塔旋回速度が22°/sから20°/sに低下
・車体及び砲塔装甲厚が増加

簡単に言うと砲が弱体化し、遅くなった代わり装甲が厚くなりました。「ほうほう」とさっそくwikiに載っていたので見てみると車体、砲塔共に正面125mmに増厚・・・ってふざけてるのか!75mm厚だった部分を押し並べて125mmに増圧しているのなら、そうそう貫けない。Tier5MTならAPCR必須で、G1RやM7の75mm砲ではAPCRを用いても貫通させるのは至難の業。Tier5といわず、Tier6MTでも難しいレベルで、Tier7MTでもAP弾では角度をつければ結構弾ける数値。格上でそれだから格下MTとか絶望的ですよ。特に私が使ってるSARL42のような機動力のないMTでは、正面で出会う限り対処のしようがない。弱体化部分を差っ引いても更に強戦車化しているような・・・。ただこれで長砲身105mm砲が使えるフランスのBDR G1が砲撃性能では単独圧倒的になり強みが復活した。しかし昨今団子のように固まって動く輩や、TDの真似事をする他種が多い。MTを多く使う者としては、前に出て出会うHTにはガンガン弾かれ、迂闊に進めばTDに狙撃されるとあっては消極的なMT使いが増えるのも無理からぬ話で、ビビって視界さえとらないLTも増えた・・・。
posted by mutu at 19:20| Comment(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

またいつ


・自衛隊員の心情を考えれば・・・
私は村本さんのような心がないので、千差万別あるだろう自衛隊員の心情を一括で察することはできない。可能性の問題でいうならば、戦火を交えたばかりに死ぬ事になった自衛隊員にも、座してるばっかりに死ぬ事になった市民にも責任を取れる人なんていないと思う。自衛隊は有事の際に殺し合いをする組織だ。であるならば一国民としての思いやりは、できるだけ一方的に相手を叩き潰せるようにしてあげる他ない。そうする事で自衛隊員が死ぬ可能性も減るし、全く敵わない、向かうだけ犬死だと相手国の士気が落ちれば戦意を奪い、自衛隊員が殺す数を減らしてあげられる。人殺しがしたい人なんてこの世にごくわずかしかいない。包み隠さずストレートな表現でかけてあげられる言葉は「一方的に殺せる装備を用意しますから、殺しに行って下さい。報復(ミサイルやテロ)で死ぬ可能性があるのは銃後の我々ですし」しかない。だけどやっぱり言霊といって、言葉には力がありますから、賢しさを装った中学生のようにストレートな表現するだけが良い事ではなく、建前とはいえもっといろんな気の使い方をしなければならない。誤魔化しではなく、それもまた思いやりであります。孫子の兵法は無論勝つ為のものですが、前提としてできるだけ人が死なない方向を探ったものです。避ける事でだらだら戦火の種に怯えて来た現状が朝鮮戦争。最初は稚拙だとネタにしていた弾道ミサイルも、今や空襲警報を鳴らされる始末。今後北朝鮮に肩持つロシアや中国が最新兵器を売り渡す可能性を否定できません。通常戦力の質に圧倒的開きがある意味でこそ金王朝を叩き潰し、朝鮮戦争終結を宣言させることが、拉致被害者捜索の一番近道でもあります。国民の生命財産を守る義務といいながら、忘れ去られている事に悲しんでいる同胞がいる事も忘れてはならない。

・Youtubeという魔窟
Youtuberに精通してるわけでもないのですが、再生数を稼いで収入に繋げると言うシステム上、どうしても過激さで注目を浴びるというのが、安易な再生数稼ぎになりがち。過激さでのし上がった果てに滑り落ちた途端、今度は自分が最高の餌と化して過去の自分に群がられる。これほどの弱肉強食はなかなかお目にかかれない。無責任にキッズを修羅道に導く前に、啓蒙すべきことが沢山あるように思える。

・例のビンタの話題
体罰の有効性については、理不尽にぶん殴られる時代に育った体験として、体罰の効果を認めるところの考えを持っております。“上司は時に殴ってでも抑えつけてくる存在”としての刷り込みは、先に書いた『ぼくたちの洗脳社会』風に照らし合わせれば、良き工場労働者を生産するのに、必要な理念を養えるのは間違いない。しかしこれに個人的雑感を乗せると“有能無能に問わず、体罰奮う教育者に人格者なし”であります。怒るとキレるの違いについての持論は何度も書きましたが、後者は結局自身のフラストレーションの発散&マウンティング行為で、その後ろめたさを覆う為に吐くおためごかしが「お前の為」等と言った恩着せがましいマジックワード。映像見ましたけどあの状況で、興奮した少年を鎮めるにビンタは有効な解決策のひとつで間違いない。キレるのも人間ですから当然ある。ただ「軽く触った」とかいう嘘が気に入らない。コンサート中だろうが怒鳴るし叩くよといった、男気アリ発言をしておりましたが、開き直るならちゃんとビンタ打ったしそれが俺と通すべき。男気あるように見せかけて男気なし。やっぱり持論に自信を持ちました。聞き分けのない甥子を叱っている時に「実の子なら既にぶん殴ってるだろうな」といつも心に留めております。私が親だったら恐らくはDVパパで、きっと純粋君とこんなやりとりになる「子供をよく殴れるな!」「01で考えろ!立場の弱い者を殴って躾けるのは簡単で効率的だし快感だろうが!他人に殴らせたくないから親が殴るんだよ!」言って効かないならば殴って効かせるのは人の本質であり、引いては国を見たって同じです。
※こういうの書くとわざわざそうした意味が薄れますが、最後のほうは何割かネタで書いております。
posted by mutu at 18:51| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月01日

鳴らしていいとも!

今月は『エイリアン:コヴェナント』が公開されるので、楽しみにしているのですが、楽しみにしているのに楽しみでもない。というかリドリー・スコット監督なのに予告編からは微妙な雰囲気のオーラを感じる・・・。これだけ長い間映画見てると、予告で感じた予感は、配給会社が余程映画の趣旨を勘違いしない限り大抵当たる。


・Jアラートにホリエモン激怒
堀江貴文は共感できる部分も多いのだけど、基本的にグローバリズムの権化みたいな考え方と、徹頭徹尾効率重視なデジタルパターンで嫌い。私は無駄とか無意味を愛し、アナログ感覚に安らぎを覚えるので、人種として理系文系くらいの差があるんだろうなとひしひしと感じます。先日火星12が発射された際に鳴ったJアラートに、叩き起こされた事へ腹立て政府批判までしたそうですが、この事件についてワイドショーで「トランプが悪い」と、耳を疑うような発言をしたコメンテーター並に耳を疑う(この場合は目ですが)。どうせアラート鳴って数分後の着弾では間に合わないから。とよく言いますが、ちょっとよく考えて欲しい。それは爆心地にいる人の問題。核弾頭を撃ち込まれた場合、放射能という二次被害が生まれるのでアラートが鳴って避難や退避をする事の意味はあります。爆心地に居る人だって地下鉄の入り口付近とかに居る人は数分で逃げ込めるでしょう。国家には国民の生命・財産を守る努力義務があります。私は政府がそれを果たしているとは思っていませんが、このアラートもその一環です。幸いアラートを切る事ができるのだから、客観的に判断して、Jアラートは日本国民の防護策として鳴らす義務がある。不快だと腹を立てるのも個人の自由ですが、第一の要因は北朝鮮が我が国に対してミサイルを発射したこと、第二に設定をキャンセルしていなかった自身。この人は地震警報も不発だったら文句を言う道理なのかな?“よくぞ言った”なアジテイターをキメたいかのかもしれないが、それは協調性を欠いたお為ごかしだ。

思うに“Jアラート”とかいう、謎の言い回しせいで、緩キャラ発言が起ってるのではないか?何でも馬鹿の一つ憶えみたいにJとかiとか(サムライとか)付けるのが大嫌いで、やんわりクッション入れるのは返って剣呑。直線的に“空襲警報”この文字のインパクトで丁度いい。ふと思い出したのですが、もう10年以上前先代の北の首領がテポドン発射した事件を受けて、ブログで日本が戦争に巻き込まれる可能性について書いた時、当時はまだブログブームでどんなブログでもよくコメントが付いたもので、その時コメントで戦争なんて起る訳ないとか、北のミサイルの稚拙さを説明された想い出があります。今日本のこの現状で尚、日本が戦火に巻き込まれる可能性が全くないと言い切る人が、どれ程いるだろうか?このホリエモンもまた、あれは尖閣問題での発言ではありましたが、日本で戦争はないと言っていたひとり。
posted by mutu at 23:23| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする